スクールソーシャルワーカーになって、9年目。
何度も何度も考える事柄があります。
発達障害(と疑われる人も)子どもさんのこと。
私が考えていることの一部を
自分のためにもこちらに整理します。
発達障害は1963年アメリカで
9年前。スクールソーシャルワーカーになりたての頃。
発達障害については、正直あまりピンときていなかった。
障害の内容によっては、環境によるものも
影響が大きいと考えるケースもある。
「発達障害」の用語は1963年、アメリカで生まれた。
日本には1970年代に入ってきた。
現在、日本ではかなり広く知られてきていると考えられる。
自分自身の経験を発達障害として考える
発達障害を学ぶにつれ、自分自身も発達障害(ADHD他)なのでは?
と思うようになった。
幼児期、小学校と、とにかく落ち着かない。
良く言えば、
ありあまるエネルギーで、外を飛び回る。
教室で席に座っていられない(あるいるですね~)
宿題せずに、遊び歩く。
周囲にとっては、うるさい!と迷惑だったかも
しれないが、とにかくマイペースだったので、
そのことで、あまり注意も受けなかった。
ただ、宿題をしてこないのは怒られていたが、
なんと、なにげに無視していた(こわっ!)
愛着障害や家庭環境が不安定な場合、
発達障害のような状態になるとも学んだ。
「うーん?」自分に当てはめてみても、
家庭環境も不安定だったし、それが要因か?
学べば学ぶほど、結局は
様々な要因がありそうだということになる。
感覚過敏。
私は口にものを入れるのが嫌で、中学2年生くらいまで
給食を拒否していた。家では、むりやり抑えられて
流動食みたいなものを流された。
私の感覚としては、口の中が私の中の世界。
いつも口の中の異変が気になる子ども時代だった。
「手足がゴボウみたい。」と近所のおばちゃんたちに
いつも言われていた。
今は、なんでも食べて、肥満気味でもある。
中学生になって、運動部に入り、お腹が空く
という感覚を覚え、やっと食べられるものから
食べるようになり、今にいたる。
時計が読めない
子どもの頃。検査で知能は高いという数値が出た。
日常も、他の子どもたちが出来ないことが
すばやくできたりと、楽勝ムードだった。
しかし・・・
ひとつだけ、みんなに隠していたことがあった。
「時計(時間)がよめない!!」
親だけは、それに気がついていた。
なので、何度も何度も時計の見方を教えられた。
それでも入ってこない。
自分でもわけがわからなかった。
他の子より、いろいろわかって、出来て、
なのに、他の子が時計を読めるのが当たり前なのに
どうしても時計を見て時間を言えない(わからない)!!
幼いながらも、すごくコンプレックスを感じた。
そこで、自分で何とか工夫し、毎日何度も何度も
時計とにらめっこ。
今となっては、どうやって克服したか、
詳細は覚えていない。
ただひたすら、時計とにらめっこしたことは
記憶している。
結局、自分で「時計は読めるようになりたい」という
強い思いで克服したが、宿題をしない(できない)は
結局、最後までどうでもいいと振り分けた。
※小学校3年くらいで、自分で考えたのは
宿題をしないことで、悶々とつらい気持ちを
引きずって楽しくない日々を送るか、
宿題をせずに、先生に怒られるか・・
どちらがいいかを真剣に考えて、
「宿題はしない。」と決めたのだった。
宿題を出さない(出せない)と
悩んだ末に決めたことが、今思えば
宿題をしなかったことへのコンプレックスが
残っていないこと、悩みに悩んだという、
苦悩の末に自分自身が答えを出したことが
大切な経験として残っている。
発達障害の疑いで診断を受けるかどうか?

発達障害の疑いのケースは少なくない。
こどもさんと話したり、学校、保護者等と
お話して、それらの情報を多職種で検討し(ケース会議)
受診の説明が必要かどうか・・など検討していく。
現状の把握→それによる見立て→手立て
ざっくりとこのような流れ。
ここで、最初の現状の把握(情報)が主観が入りすぎたり
周囲の困り感が強くなると、受診をしてはどうか?
ということになる場合が多い。
大切なのは本人の困り感。そして環境を変えることで
改善することはないか?を検討することは大切。
私のように、発達障害という概念がなく、
自分がギリギリのところで、踏ん張って
克服していけるかもしれない可能性を
受診をして、診断名を受けて、
気持ちは安心するのか?
コンプレックスになるのか?
発達障害だからと、ギリギリ頑張っていたのを
あきらめてしまうのか・・・?
ほんとうに悩ましい。
保護者の方々には、育児において
発達障害の理解があれば、
イライラや悩みが軽減して、
日常で様々な工夫ができる可能性が
あると考える。
本人にとって、発達障害と言われることは
どうなのだろう・・。利点がなかなか浮かばないが
周囲が理解をしてくれることは利点になる
可能性はある。
まとめ~人間の可能性
発達障害(疑いも)と言われても、
ほんとうにひとりひとり違うと
たくさんのお子さんと関わって
しみじみ思う。
当たり前といえば当たり前。
人はもともと同じ人なんていないのだから。
発達障害としてその人を見ると
間違いが起きる。
その当たり前のことを支援者として
忘れがちになることもある。
人は可能性に満ちている。
まとめなのにまとまらない。
なかなか言語化できないので、
社会心理学者 加藤貞諦三氏の
メッセージの動画をご紹介したいと思います。
私の考察は、きっとこれからも続くと思います。
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